日本拳法ってナーニ?

日本拳法概説|日本拳法ってナーニ?|日本拳法連盟のマーク及び胸章について
ありとあらゆる民族には古代から素手で戦う格闘術があるんですね。生活様式や自然環境、それぞれの体型などから 特色、得意技の違いがあると思うんです。

日本だと、まず相撲を思い起こしますよね。
「すもう」って「あいなぐる」って書きます。
古語では「すまい」と言って突く、殴る、蹴ることを表したので漢字で相撲と書いたのでしょう。

角力(本来は捔力)とも書くんですが、『古事記』の神話で建御雷神たけみかずちのかみ建御名方神たけみなかたのかみが力くらべをして、雷のほうが
「若葦を取るがごと、掴みひしいで投げ放つ(逆手投げ)」
とあるから最初は角力かな?

『日本書紀』には出雲の国の野見宿祢のみのすくねと、大和の国の当麻蹴速たいまのけはやが垂仁天皇の御前で戦ったとある。
  すくねる=組み伏せる
  蹴速=読んで字のごとく
まるっきりリングネームですね。

古代相撲で当麻蹴速に勝利した、野見宿祢(のみのすくね)
↑古代相撲で当麻蹴速に勝利した、野見宿祢のみのすくね
それで蹴速が蹴ってきたところを宿祢が蹴取り足払いで倒し、踏み蹴りで肋骨を折って殺したんだそうだ。
防具無し拳法やないの。
しかも試合場は四方に柱を立てしめ縄で囲ったんだそうだ。
まるっきりリングですな。

平安時代にはすごく流行ったんだそうだが、あまりに血なまぐさくなるので聖武天皇のあたりから今の「すもう」の形になってきたようだが「相撲」の漢字が残ったんだと思うんですね。
宿祢はその後相撲の祖として崇められ、出雲大社の相撲場には「野見宿祢神社」がありまっせ。

それとこのお方は天皇殉死の悪習廃止の代替策として 土偶はにわ埋葬を献策したことから土師はじ姓を賜って葬送儀典を司る貴族にもなって、その末裔が菅原氏から九条家(相撲司家)となったんだそうな。

その後お武家さんらは槍、刀剣、弓、馬の武術が中心となって、素手格闘はあまりクローズアップされなくなった。

それから時代がぐーんと下がって明治になって嘉納治五郎(東京高等師範校長、日体協創設、初代IOC委員)が講道館を開き柔道を広めるんだけど、最後まで当身技(打撃)を排除したことに苦悶したようだ。

同じころ、沖縄から船越義珍や摩文仁賢和たちが唐手(空手)を広めてきたことから、我らが開祖、澤山宗海さわやまむねおみ先生が「『当身が危険』というなら防具を着けたらエエヤンカ」と発想の転換をしたんですな。

まさに「すまい」の原点に立ち帰ったというのが日本拳法ですねん。

 日本拳法連盟 技術部会 部会長・横山俊平 雑談
実際の試合にも見られる、蹴り足をとっての足払い
↑実際の試合にも見られる、蹴り足をとっての足払い。

日本拳法も初期には、リングで試合を行っていた
↑日本拳法も初期には、リングで試合を行っていた。

日本拳法の開祖・澤山宗海(さわやまむねおみ)宗家
↑日本拳法の開祖・澤山宗海さわやまむねおみ 宗家。